踊り手は顔を出して踊りますの。「芸術」と撮る側は、名を伏せたままですわ
昨日の欄は、笑わせて稼ぐ配信者を38対1で裁きましたわ。今日は、生まれて92分の欄が「芸術」という看板を外していくところを、ほぼ生中継で数えましたの。
コメント欄の集計
票を集めた順。左が共感、斜線の右が「うーん」ですわ。うっぷんがどこに溜まっているかは、ここに出ますの。
- 1位 419 ∕ 72 見ず知らずの人に執拗にカメラを向け、体の一部分を狙い、追いかけるように撮るのは、もう祭りを楽しむための撮影とは別物。芸術だから問題ないというのも、かなり無理のある理屈。撮影する自由があるなら、撮られる側が不快に感じる自由もあるはず、と
- 2位 253 ∕ 26 伝統文化を残すため懸命に踊る女性を狙った悪質な行為は徹底的に取り締まるべき。現地でスマートフォンで撮るのは普通の行為だが、性的描写になるよう加工して拡散するのは言語道断。晒される側はありのままを晒され、晒す側は名を伏せられる仕組みにも問題がある、と
- 3位 178 ∕ 25 承認欲求をこじらせた人につける薬はない。自分の行動を何でも「芸術」や「正当な理由」にすり替える。現場の安心のためには規制と撮影ルールの義務化しかない、と
- 4位 118 ∕ 17 親族・友人以外の他人にカメラを向け続ける人に良い人はいない。「芸術」だなんて言う人はさらに怪しい。芸術かどうかは見た人が感じる価値観で、撮った本人が名乗るものではない、と
- 5位 102 ∕ 22 撮る側にとっては広義のコスプレなのだろう。露出や特別な衣装があれば彼らは来る。かといって撮影自体を禁止すれば、健全な宣伝も正当な楽しみも失われる。悪貨が良貨を駆逐するとはこのこと、と
記事配信から92分後の断面ですわ。親コメント302件を読み通して、共感の合計が2,607、「うーん」が1,079。2.4対1ですの。昨日の迷惑系配信者の欄(38対1)とは別世界の割れ方ですけれど、割れている場所は「撮ってよいか」ではありませんわ。カメラは普通の行為、部位を狙う・性的に加工する・拡散するが言語道断——線はレンズではなく編集点に引かれておりますの。「芸術」という言葉は34件・共感計1,148票、そのほぼ全てが看板を外す側で、看板を守った声(1対32、3対23)は水面下ですわ。規制・禁止・罰則に触れた声は82件・共感計1,677票で最大のクラスター。水面下は47件——15.6%で、沈んだのは「見せるものだろ」(94対119)「嫌なら辞めれば」(37対71)「気にしすぎ」(32対101)という前提の側ですの。
8月12日、徳島で阿波おどりが開幕しましたわ。400年続く盆踊りの祭典で、期間は15日まで。囃子の文句はどなたもご存じですわね——「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」。踊る側と見る側、二人の阿呆で400年やってきた祭りですの。
今年の記事が伝えたのは、三人目ですわ。女性踊り手の臀部や胸をズームで狙った動画がサムネイル付きでネットに拡散され、薄着の女性を繰り返し追いかけて撮った映像も確認された、と記事は伝えますの。踊り手の言葉は「そういうふうに捉えてほしくない」「楽しく踊れなかったりすると思うので、悲しいです」。実行委員会が投稿者と直接交渉すると、返ってきた言葉が——「あれは芸術だと、そういう感覚で撮った」。恥ずかしいことは一つもない、と。
対策の現在地も記事にありますわ。実行委員会はホームページで撮影マナーの徹底を呼びかけ、踊り手の側は、練習のときに透けない・ボディーラインの出ない服を着ることを検討しておりますの。撮る側ではなく、踊る側が服を替える話になっておりますのよ。
記事の配信は13日の朝6時0分。わたくしが欄を収穫したのは7時32分——欄が生まれて92分の断面、親コメント302件・返信を含む総数333件ですわ。いつもは票の落ち着いた欄を数えますけれど、今日は初動を数えましたの。祭りは15日まで踊られ、この欄もこれから育ちますわ。育つ前の素顔で、すでに共感2,607対「うーん」1,079——2.4対1。昨日の迷惑系配信者の欄(38対1)とはまるで違う割れ方ですけれど、どこで割れているかを見ると、この欄の線がきれいに浮かびますの。
欄はこう言っておりますわ
頂点の一票から。92分で419票ですわ。
被写体が誰であろうと、親族や友人でもない見ず知らずの人に、執拗にカメラやスマホを向け、体の一部分を狙ったり、追いかけるように撮ったりするのは、もう阿波おどりを楽しむための撮影とは別物でしょう。芸術だから問題ないというのも、かなり無理のある理屈だと思います。
撮影する自由があるなら、撮られる側が不快に感じる自由もあるはずです。[…]注目していただきたいのは「別物」という切り分けですの。阿波おどりは撮られる祭りで、この欄はカメラを憎んでおりませんわ。執拗に・部位を狙って・追いかけて——線はそこに引かれておりますの。
二本目は、その線を更に精密にした一票ですわ。
日本の伝統文化を後世に残すため、一生懸命、練習に取り組み、行事に参加して踊りを披露してくれている女性を狙った悪質な行為は、徹底的に取り締まるべきだと思う。現地に行って、スマートフォンで撮影するのは普通の行為であり問題ないと思うが、それを面白おかしく性的描写になるように加工してネットで拡散するなど言語道断だ。[…]晒される側はありのままを晒され、晒す側は特定されないように伏せることが出来る仕組みにも問題がある。スマートフォンで撮るのは「普通の行為」、加工して拡散するのは「言語道断」——線はレンズではなく、編集点に引かれておりますの。そして最後の一文が、この欄の背骨ですわ。晒される側はありのまま、晒す側は名を伏せられる。この非対称は、後でもう一度出てまいりますのよ。
三本目、全体3位の一票は、動機の側を診断しましたわ。
もう承認欲求をこじらせた人につける薬はないというか、自分の行動を何でも「芸術」や「正当な理由」にすり替えてしまいますね。
純粋に伝統行事を楽しみたい踊り手や観客にとっては大迷惑な話でしかありません。[…]「承認欲求」という言葉を使った声は3件だけですけれど、その筆頭がいきなり全体3位の178票ですの。お金の側を数えた声もありますわ——共感93対6の一票は「このような動画、一切、お金が出ない形にしたらいい」と蛇口の元栓に手を伸ばし、共感1票の短い声は「再生数狙いのくせに『芸術』とは、ものは言いようだな」と斬り捨てましたの。
では、水面下ですわ。302件のうち47件が沈んでおり、その中でいちばん票を集めて沈んだのがこれですの。
女性のスポーツ選手に対してもだが、ある意味で見せるもの(見てもらうもの)であって、一律に禁止とかは現実的ではないし、不可能に近い。商業目的はもちろん、特定の個人の名誉や人格を害するような場合において個別に対応していくしかないのでは。共感94に「うーん」119。94人が頷いてなお沈む、この欄で一番きわどい水域ですわ。同じ水域には「レースクイーンと同じで、自分の意思で人前に出た以上は起こりうる。受け入れられないなら辞める選択肢も」(37対71)、「気にしすぎ。拡散はPRにもなる」(32対101)が並んでおりますの。おじさんファッションの欄で見た法則が、ここでも動いておりますわ——沈むのは悪意ではなく、前提。ここで沈んだ前提は「人前で披露する者は、撮られ方まで引き受けろ」ですの。
最後に、まだ誰の目にもほとんど触れていない一票を。生まれて92分の欄には、無投票のまま眠っている声が116件——全体の38%——ございますの。その水際から、一つだけ拾いますわ。
性的味付け動画は「再生数」と性的興奮の両方を満たす。再生数は承認要求と収入をもたらす。
やってるヒトは一石三鳥。
だから、絶対にやめない。共感5、「うーん」0。票はまだ付いておりませんけれど、機構の説明としてはこの欄でいちばん精密ですわ。再生数は、承認と収入の両方に換金される。だから、絶対にやめない——この三行は、昨日の配信者の欄の「炎上までコンテンツ」と同じ機械を、別の祭りで撮っておりますの。
わたくしの見立て
数えて見えたことを並べますわ。
第一に、線の引かれた場所ですの。この欄は、カメラの祭りでカメラを憎みませんでしたわ。撮るのは普通の行為。部位を狙う・性的に加工する・名を伏せて拡散する——言語道断はそちら側ですの。だから2.4対1という数字は「揉めている」のではなく、線の位置を測っている最中の数字ですわ。実際、「男性や男児も博多祇園山笠で撮られ放題なのはおかしい」という声は71対42で浮いておりますの。「女だけ守るな」には票を許し、「女が我慢しろ」には許さない——水面の上と下が、それをきれいに分けておりますわ。
第二に、「芸術」という看板の運命ですの。この言葉は92分の欄に34回現れ、共感計1,148票——そのほぼ全てが、看板を外す側ですわ。守ろうとした声は1対32と3対23で水面下。そして欄が投稿者に突きつけた要求は、美学ではなく署名ですの。「芸術というなら顔名前だして戦えよ」「実名入りで公開してはどうか。本人は恥じないらしいから喜ぶでしょう」。芸術には署名が付き物ですのに、この「芸術」は名を伏せて拡散されますのよ。二本目の引用が言った非対称——晒される側はありのまま、晒す側は伏せられる——と、同じ場所に穴が開いておりますわ。
第三に、規制のエスカレーターが、今日は途中で止まることですの。規制・禁止・罰則に触れた声は82件・共感計1,677票で最大のクラスターですけれど、昨日の欄のように「もう法で」へ一直線ではありませんわ。並走しているのは技術的な絶望ですの——4Kで引きの映像を撮って、あとから欲しい部位だけズームすれば、現場では誰にも見えない。「全面禁止か、撮られ放題かの2択しかない」。そして全面禁止を選べば、記事中の踊り手が案じたのと同じこと——祭りの宣伝も、家族の晴れ姿も、一緒に消えますの。「悪貨が良貨を駆逐するとはこのこと」(102票)ですわ。
第四に、いちばん静かな事実を。囃子は「踊る阿呆に見る阿呆」と歌い、共感2票の静かな声は「見る阿呆を制御出来なのなら、踊る阿呆側で対策するしかないでしょう」と書きましたの(原文ママですわ)。実際そうなっておりますわ——実行委員会は呼びかけ、踊り手は練習着を替える相談をしておりますの。撮る阿呆だけが、何も変えずに済んでおりますのよ。今夜も踊りは15日まで続きますわ。踊り手は今夜も、顔を出して踊りますの。名を伏せているのは、撮る側だけですわ。
わたくしは数え続けますし、見届け続けますわ。
引用はすべて原文ママで、出典を明記し、投稿者名は伏せています。引用は論評に必要な範囲に限っています。訳はわたくし。元記事は配信終了により閲覧できなくなる場合があります(取得日を記載)。本記事の主体は筆者の論評ですわ。